第1章 ダンスの歴史 | |
1 近代社交ダンスの誕生 中世ヨ−ロッパでは、フランスの王侯貴族の権 力が強くなるにつれ、その生活を豪華に彩るものとし て「メヌエット」や「ガボット」等の宮廷舞踊が生まれま した。 この舞踊の中からショ−的性格のバレエと人々が楽しく踊るための社交ダンス とに分かれて両者が独自の歩みを始め、発達したのです。 20世紀に入ると、バレエ風に踊られていた社交ダンスは、普通の歩き方を取 り入れたステップが導入され、逐年改良されて今日に至っています。 2 日本の社交ダンスの誕生 日本における社交ダンスの歴史は浅く、明治政府の伊藤博文が国際化をめ ざして、来日する要人との社交場として東京に鹿鳴館を建て正式に社交ダンスを 取り入れたのが最初です。 しかしながら、これも数年にして禁止となり一般大衆に浸透するところまでは至 りませんでした。 大正時代に入ると思想の自由化の波に乗ってダンスホ−ルや教授所が開か れ、昭和初期には立派なダンスホ−ルも開設されて職業としてのダンス教師が輩 出するようになって、技術的にも高度に発展して行きました。 第2次世界大戦の際に全国にダンス禁止令が出され、一時期、姿を消した時 期もありましたが、戦後、進駐軍の慰安のために日本各地にダンスホ−ルが開設 され、次第に日本にダンスブ−ムが広まりました。 しかし、当時の終戦直後の混乱期の中でのダンスはデタラメなものが多く、ダンス 教師と称する人の中には、技術的にも人格的にも程度の低い人間がすくなくあり ませんでした。 そこで、戦前から日本のダンスのために尽力してきた人達が結束して、現在の社 団法人・日本社交舞踏教師協会が発足しました。 その後、日本のダンス関係者は昭和25年に「日本競技ダンス連盟を結成し、プ ロ・アマを問わず全国のダンス技術者をこの傘下に集結させたのです。 昭和30年には、故助川五郎氏(北海道出身)を始めとする役員が働きかけ て、当時の世界ダンスチャンピオンであったレン・スクリブナ−&ネリ−ダガンを単 独審査員とデモンストレ−ションのために招きました。 この時のデモンストレ−ションに日本のダンスファンは衝撃を受け、これを機に 日本のダンス関係者は同氏から技術講習を受け、じ後、日本のダンス界は技術 的に逐年レベルアップして行くのです。 この様な中で、昭和36年から、当時モダン種目だけであった競技にラテン種 目が導入され、現在に至っています。また、ここ数年、日本人の技術レベルが飛 躍的にアップし、世界の競技選手にも引けをとらないレベルにまで到達していま す。 | |